高校生のときにビートルズに出会い、大好きになりました。その後、そのビートルズ以上に好きになったのがフィッシュマンズです。音づくりのすばらしさはもちろん、ソングライティングを手がける佐藤伸治の詩の世界が魅力的で、特にポリドールに移籍以降、音楽が進化・深化したといわれています。

ポリドール移籍第一番のアルバムとしてリリースされたのが『空中キャンプ』で、その魅力について語ってみたいと思います。

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『空中キャンプ』概要

ポリドール移籍の際に手に入れたプライベートスタジオ

リード文に書いたように、同作品はポリドール移籍一作品目として、1996年2月1日にリリースされました。

移籍にともない、契約の席上で彼らはレコード会社にある条件を提示します。

 

それは、バンド専用のプライベートスタジオをつくってもらうこと

交渉にあたったのは、フィッシュマンズの音づくりにかかせず、ビートルズでいうところのジョージ・マーティン的な役割をになっているエンジニアのZAK。

 

今の時代ではなかなか考えられないことですが、ポリドール側はその条件を飲みます。

そのプライベートスタジオで2年でオリジナルアルバムを3枚つくるというのが、レコード会社が交換条件として出したノルマでした。

 

このプライベートスタジオ=「ワイキキ・ビーチ・スタジオ」を手に入れたことで、時間を気にせず、思う存分音づくりに没頭することができるようになりました。

(同スタジオは、世田谷の住宅街の一角、淡路通り沿いにあって、契約満了後ケーキ屋さんになって、「建物がつぶれるって言われたから出ってたのに」って佐藤伸治が確か怒っていたように思います。今もケーキ屋さんあるのかな)

 

それがフィッシュマンズの劇的な音の進化・深化の要因となり、『空中キャンプ』の誕生へとつながってきます。

なぜ、プライベートスタジオをつくるという厚遇で迎えられたのか?

フィッシュマンズが移籍した1995年前後、ポリドール在籍の看板アーティストというとスピッツです。

95年は、スピッツ大ヒットのきっかけとなる「ロビンソン」が出た年で、同作は162万枚の大ヒット。続く「涙がキラリ☆」も100万枚近いヒットとなったほか、同年9月に出したアルバム『ハチミツ』も169万枚を売り上げます。

年明けの1月には94年にリリースしていた「空も飛べるはず」がドラマ「白線流し」の主題歌となり、リバイバルヒット(オリコン1位を獲得)。まさに飛ぶ鳥を落とす勢いなのでした。

 

ここからは僕の勝手な推測ですが、おそらくポリドールは第二のスピッツを狙ってフィッシュマンズを迎え入れたと思います。

適当な発言ですが、いくつか論拠をしめすと、前年の94年に「ロッキンオン・ジャパン」誌上で佐藤×草野×八野( b-flower )の「ひなぎく対談」という対談企画が行われたのですが、企画のきっかけが、三人のキャラが似てるからw

(ちなみに、後日草野マサムネのラジオ番組に佐藤伸治が電話出演したときに、草野に「この前、ロッキオンでやったよね」みたいなことをいわれ、当初なんのことかわかっていなかった佐藤伸治が、「あ、やったよね、なんか手に鳥とかのして。撮影したよね」と鼻で笑うというか、爆笑してました)

 

さらにいうと、移籍前のフィッシュマンズが出した最後のスタジオ・アルバムが『オレンジ』で、小野島大が98年の文章で「正統な彼らの作品系譜からはやや外れた作品だが、彼らのソング・ライティングの質の高さと「うた」本来の手応えを知るにはこれが最適かもしれない。実際、ここでの佐藤伸治の歌は実に伸びやかで開放的だ。この路線を押し進めれば、もしかしたらミリオン・セールスへの道も夢ではなかったかもしれない(?)」と書いていますが、この指摘が違和感ないくらい、「メロディー」とか「忘れちゃうひととき」とか、楽曲がすごくポップで、メディアに取り上げさえされれば、ヒットしそうな感じでした。

【忘れちゃうひととき】

 

このアルバム制作前にギターの小嶋謙介が脱退し、レコーディングには代わりにバッファロー・ドーターのシュガー吉永が参加し、後に欣ちゃん(ドラムの茂木欣一さん)も「シュガーさんが入って、なんかギターバンドみたいな、ソリッドな音になった」みたいなことを言ってました。

 

で、まとめると、楽曲もポップだし、佐藤伸治のビジュアル的にもパッと見かわいらしい雰囲気があるし、これは売れるぞ!とポリドールの人は思ったと思うんです。あと、CDはそんな売れてなかったけど、この時期ライブの集客力はすでにすごかったし。

基本、僕の勝手な憶測ですが、ポリドールの人が「売れる!」と期待したことは間違いなく(じゃなきゃ、さすがにプライベートスタジオをつくったりしないでしょう)、バンドもそのつもりでいたと思いますが(やたらと佐藤伸治が「売れる!」ってことを言ってた。笑)、当時その期待通りのセールスをたたき出すことはできませんでしたが、結果として「名盤」として後に多くの人に賞賛される『空中キャンプ』をフィッシュマンズはつくったのでした。

ポリドールに移籍で浮かれる佐藤伸治

この移籍直後、本当にうれしかったのでしょう、佐藤伸治がすごく浮かれています。

それは移籍直後に行った「若いながらも歴史ありツアー」のMCで、ポリドールの厚遇ぶりを伝え、「ほんとにいいレコード会社です」と満面の笑みでしゃべっていたくらいまではよかったのですがだんだんエスカレートとして、「みんな、ポリドールの株を買おう!」となって、最終的に「株式総会で会おう!」とか言うくらい浮かれてました。

 

一応複線があって、その前に所属していたメディアレモラスの応対に不振感をもっていただけに、「やっと体制が整った!」と佐藤伸治もやる気を出していたのでしょう。

このあたりの話は、川崎大介の『フィッシュマンズ—彼と魚のブルーズ』に詳しいので、興味がある方は当たってみてください。

収録曲解説

1.ずっと前 [5:01]
2.BABY BLUE [6:09] 10thシングル。
3.SLOW DAYS [4:41]
4.SUNNY BLUE [5:55]
5.ナイトクルージング [6:02]
6.幸せ者 [4:37]
7.すばらしくて NICE CHOICE [6:47]
8.新しい人 [6:45]

1.ずっと前

イントロのギターが印象的な1曲ですが、その要素をいっさい取り払ったライブアレンジもすごくいい感じで(『8月の現状』収録)大好きです。

ファンクラブ会報の中に「デラポエット」という佐藤伸治の詩を載せるコーナーがあって、そこに「ずっと前」の原型となる詩が掲載されていたことがるのですが、それを見たときに、佐藤伸治にというよりかは、詩人にはかなわない、と思った記憶があります(具体的に表現しにくいですが、言葉の言い切り方のスパっとした感じに、散文型の自分としては、こうはなかなか言えないなと思った感じで。実際の歌詞の冒頭の「彼女の暮らしは今始まっている」もそんな感じなんですけどね)

【ずっと前】の完成度の高いデモ音源

2.BABY BLUE

あまりライブでは演奏されなかったけど、フィッシュマンズの代表曲のひとつだと思います。

寝起きのぼーっとした時間とか、犬が自分の尻尾を噛もうとしてぐるぐる回っている様子とか、非生産的で傍から見たらなんの意味もないことだけど、その時間が本人にとって不可欠であったり、その一見無駄な時間があるからこそ創造的な、もしくは生産的に次の一歩へとつながっていったり、その意味のない時間が「意味がない」ということ自体において現象的におもしろかったり、「意味なんかないことの意味性」ということをよく考えていた僕にとって、「意味なんかないね 意味なんかない 今にも僕は泣きそうだよ」という歌詞は、初めて聴いたときからおそろしくしっくり感じたのでした。

【BABY BLUE】NHK「ポップジャム」出演時の演奏

この映像のライブ前にインタビューもあって、ちょっと噛みぎみ「今年は売れます」という佐藤伸治が、いかにも売れなさそうで笑えます。んで、演奏中のこのパフォーマンスでますます売れなさ度が上昇しているように思います。

(佐藤伸治とhonziがふざけてますね。これを見ていた元メンバーの小嶋謙介が、「マジメにやらないと売れないよ」とあきれながらアドバイスを送ったそうです)

 

演奏がカラオケなんで、ライブバンドとしてのフィッシュマンズの良さは出てませんが、佐藤伸治の変態性はかいま見えると思います。笑

 

元ネタといわれているカールトン&ザシューズ の「Give Me Little More」

元ネタとパクリの違いについては、菊地成孔が小沢健二の「今夜はブギーバッグ」について書いた文章なんかに当たってもらえればと思います。特にレゲエとかロック・ステディとかは、ある一つの型を継承していくみたいなんも多いですけど。

 

ちなみに、下はサニーデイサービスの曽我部恵一さんのカバー

すごくいいんですけど、あえて苦言を呈すと、フィッシュマンズのというか、佐藤伸治の変態性は薄れてるというか、なくなってますね(良くも悪くも多くの人に受け入れやすくなっているというか)。

サニーデイサービスにも「baby blue」って曲がありましたね。ついでに上げておきます。

97年発売のことアルバムはよく聴いてて、1曲目のこの曲も好きでした。

 

3.SLOW DAYS

カッティングギターが印象的な一曲。

昔、某雑誌のサイトで連載させていただいた小説で、同曲冒頭の「長い 長い 夏休みは 終わりそうで 終わらないんだ」という歌詞と、フリッパーズギターのドルフィンソングの最後の歌詞「ほんとのこと知りたいだけなのに 夏休みはもう終わり」を引用し、対比させて書いたことが個人的な思い出。

 

「ナイーヴな気持ちなんかにゃならない」「人生はおおげさなものじゃない」「何も減らない毎日に ボクらはスッとするのさ」「こんな毎日を だるそうに過ごしてる」「この毎日に とりあえず文句つける」とか、何気ないフレーズがいいですね。

あと、めっちゃ低予算のPVありましたね(YouTubeでアップされておらず)。

4.SUNNY BLUE

基本的にアルバムに捨て曲はないんですけど、個人的なことでいうと、この「SUNNY BLUE」はそんなに好きな曲ではありませんでした(もちろん、嫌いとかではありません)。

そんな印象を一変させたのがライブバージョンで、ギターとバイオリンがフィーチャリングされた、おそろしくカッコいいアレンジになってました。

SUNNY BLUE(1996.12.26 赤坂BLITZ)

上記映像はダイジェスト版で途中で切れてますが、後半の展開と盛り上げ方がすごい。

「土曜の夜」のライブアレンジもそうですが、最後の最後まで手を抜かないのがフィッシュマンズの真骨頂というか、気合の入り方がちょっと違うなと感じさせられるところです。

5.ナイトクルージング

説明不要のフィッシュマンズの代表曲。

オリジナルの音源もすばらしいですが、研ぎ澄まされたようなライブのアレンジも大好きです(特に、生前最後のライブとなった「男たちの別れツアー」の佐藤伸治は鬼気迫る感じで、迫力があります)。

 

このナイトクルージングをいかにライブに落とし込むかはフィッシュマンズにとってもひとつの命題でもあったようで、当初は比較的オリジナル音源に近いアレンジで演奏されました。

単独のものがなかったので、「感謝(驚)」も入ってますが(いつでもいえることですが、リズム隊がすばらしい)。

で、下が最後の演奏のときのです。

動画ありのは消されていたので音源だけですが。

野音でソウルセットとやったやつも最高です↓

途中で切れてますが、興味をもった人は、損はしないと思うのでDVD買ったください!

 

あと、けっこういろんな人にカバーもされていますが、白眉はクラムボンじゃないでしょうか。

何の文句もつけようがありませんが、あえていうと、これがフィッシュマンズのライブアレンジが完成する前に発表されてたらもっとすごかったと思います。

 

あとは、七尾旅人のもよかった。若いときにくらべて高い声が出なくなってたからどうかなと思ったけど、今の声がしっくりきてる感じでよかった。

6.幸せ者 

あまり目立たない感じの曲ですが、大好きというか、しみじみといい曲です。

「この世の不幸は全ての不安 この世の不幸は感情操作とウソ笑いで」ってとこ、いいですね。ていうか、ここだけに限らず、全体的に詩が好きです。

 

あと、あまり主張していないダブ処理がいい感じ。

エンディングでぶつぶつ言ってる佐藤くんの言葉を読解できた人がいたら、ご連絡ください。

7.すばらしくて NICE CHOICE 

これまた名曲です。オリジナル音源では間奏のピアノが印象的ですが、ライブではバイオリンになり、どちらもいい感じです。

http://www.nicovideo.jp/watch/sm5702163

これまでの楽曲もそうですが、そのつど歌詞を考察しているとすごく長くなるのでさらっといってますが、ここでもそのパターンを踏襲すると、「目的は何もしないでいること/そっと背泳ぎを決めて 浮かんでいたいの」ってとこで終わるのではなく、その直後に「行動はいつもそのためにおこす」って来てるところがいいですね(何もしないために、行動を起こす!)

ちなみに、オリジナル音源では冒頭に英語のサンプリング音源が入りますが、その元ネタはこちらの映画です。

【映画「Streetwise」】

2分27秒あたりから。曲を聴いたことがある人なら、あーってなると思います。

ちなみに、この「Streetwise」はストリートチルドレンをテーマにしたドキュメンタリー映画で、邦題は「子供たちをよろしく」といいます。

8.新しい人 

レビューになっていませんが、最後にふさわしい曲です。

UAのライブの映像を貼ろうと思ったけど、消されてました・・・。

空中キャンプが生まれた背景

自分たちだけのスタジオを手に入れる

冒頭に書きましたが、まず第一にプライベートスタジオを手に入れたことが大きいでしょう。

この『空中キャンプ』の話に限らず、どの分野でもすばらしい作品やパフォーマンスが出来るときって、後から振り返ると奇跡のような導きがあったりして、その達成にいたるなんてことがあると思いますが、ほんと大して売れてもいなかった当時のフィッシュマンズがプライベートスタジオを手に入れるって、奇跡のような話だと思います。

 

そのあたりのことが書かれた『フィッシュマンズ-彼と魚のブルース』の該当場所をいくつか引用してみます。

(前略)備えられた機材も、すごかった。ADATはもちろん、95年のこの時点で、ハードディスク・レコーダーも装備・佐藤の声質を考え抜いた上でZAKが選んだ「一本40万円」の専用ヴォーカル・マイクほか、柏原譲いわく「ホーム・レコーディングということなら、考えられるかぎり最高の機材」が、備えつけられていた。

※柏原譲さんはフィッシュマンズのベースの方です。

 そもそもが、この時代、「ミュージシャンが自分専用のスタジオを手にする」という例は、日本においては、ほとんどなかった。ミリオン・セラーを出すような、特権的な「スター」なら、そんなことも、あったかもしれない。しかし――こういってはなんだが――フィッシュマンズ程度の売り上げ実績のバンドが、そんなことを、レコード会社に要求するなんて、前代未聞だったろう。しかも、その相手というのが、「移籍したばっかり」のレーベルなのである。そんなことが、あり得るわけがない。

――世間じゃ、「同じポリドールに移籍した、氷室京介より待遇いいんじゃないか」って評判だよ。

佐藤 いいんじゃないの? こんな話、聞いたことないよね(笑)。2年間の契約期間に3枚のアルバムをここで作るってのが条件なんだけどさ、松ちゃん(ZAK)が「3枚を貸しスタジオで録ったとすると・・・・・・とか見積もってさ、結果「こっちが安い」って会社側も納得して。で、その期間が終わったら、とりあえずここの機材は全部、バンドのものになるんだ。こんな話、絶っ対ありえないよね、普通。大メジャー会社がさ、ポーンと。いい会社だよ(笑い)

最後の引用は、『米国音楽』95年11月号の佐藤伸治のインタビュー記事が同書に引用された部分からです。

本人らも認めてるくらいにやっぱやりえないことで、当時はびっくりするくらいCDが売れていた時代とはいえ、それをさしい引いても意味不明な厚遇ぶりで、要求する方も要求する方だけど、OK出す方も出す方で、双方むちゃくちゃなんですけど、それがあったからこそ時間を気にせず、より濃密なレコーディングが実現し、それが『空中キャンプ』のみならず、『ロングシーズン』『宇宙 日本 世田谷』という世田谷三部作の誕生につながったと思うと、個人的には安いもんですやんかというか、ポリドールの文化的功績は大きいとしみじみ思います。

 

HAKASEの脱退

この時期、いいことばかりではなく、マイナスなこともありました。

バンドのキープレイヤーの一人、キーボードのHAKASEがこの時期脱退します。

 

この脱退は佐藤伸治にとっても大きなダメージだったようで、そのあたりは当時のインタビューなどでも垣間見れますが、逆に笑いに変えていたりしたのもなんだか切ない感じでした(ハカセ脱退の理由を聞かれ「RAZZ MA TAZZ(ラズ マ タズ)  に入るため」って佐藤伸治が言って、たしか言った後自分でめっちゃウケてたような記憶が)。

 

けど、後に欣ちゃんも言ってましたが、フィッシュマンズは逆境をチャンスに変えてきたというか、そういう追い込まれたときに力を出し、実際にHAKASEが抜けた後の第一弾のアルバムとして『空中キャンプ』をつくります。

honziとダーツ関口

そんな状況のなか、バンドを支える大きな存在となったのがサポートメンバーのhonzi(ホンジ)とダーツ関口です。

どこで読んだのか見つけるまでに時間がかかりそうなので記憶をたよりに書きますが、ワイキキビーチ・ハワイ・スタジオの内装を自分たちでやっていたとき、友だちかなんかだったhonziも壁のペンキ塗りか絵を描きにきてて、話ているうちに「ピアノも弾けるのー」ってなって(たしかバイオリンは弾けるっていう認識はあった感じ)、うちでも弾いてよーみたいなのが最初だったそうです(記憶が微妙に違ってたらごめんなさい)。

 

で、このhonziが入ったことで、『空中キャンプ』以降のフィッシュマンズの楽曲にバイオリンが使われるようになり、これがスタジオ/ライブとも欠かせない存在になるわけです。

ちなみに、honziは2007年9月27日に病気のため亡くなります。2005年のフィッシュマンズのライブの最後にニット帽をとったら坊主で、さすがhonziは攻めとるなとか勝手なことを思ったのですが、手術の後遺症とかでの坊主頭だったんですね、後から思うと。

佐藤伸治が死んだときももちろん喪失感は大きかったですが、2005年のフィッシュマンズのツアーを観て、佐藤伸治の大きさを改めて実感するとともに、バンドとしての新たな可能性も感じられただけに、欣ちゃん&柏原譲とともに“フィッシュマンズの音”に欠かせないhonziがいなくなることで、ほんとに、もうこのフィッシュマンズは二度ともどってこないと、個人的に大きな衝撃を受けました。

やっと佐藤伸治の不在の違和が少しなくなったのに、みたいな。

 

一方ダーツ関口はギターですが、小嶋謙介が抜けていこう、『オレンジ』のスタジオ録音ではシュガー吉永が弾いたり、ライブでは小沢健二のバックでもおなじみの木暮晋也(ヒックスヴィル)が弾いていたりしましたが、この頃からダーツ関口がサポートメンバーとして固定されます。

安定的で、決して前面に出ないダーツ関口の立ち回りも僕はバンドに不可欠と思っていて、佐藤、茂木、柏原、honzi、ダーツ関口、そしてエンジニアのZAK、この6人の音が『空中キャンプ』はもとより、以降の作品、ライブで数々のすばらしい楽曲・名演を生むことになります。

(ただ、これも後の視点から見ると、その魔法のような時間はあまりにも短かったというか、わずか3、4年で終わってしまうことになります)

『空中キャンプ』リリース後の反響

ヴェルヴェットアンダーグラウンドのファースト・アルバムがそうであったように、後年の評価がウソであるかのように、発売直後はたした反響はなく、音楽雑誌なども通り一遍の紹介程度に終わっており、実際的なセールスも大メジャーレーベルから出したリリースしたにしては、全然売れていないといってもいい感じだったと思います(『空中キャンプ』の初回プレスは2000枚だったと都市伝説的に語られていますが、純文学作家の単行本じゃないんだから、いくらなんでもさすがにもっとあったんじゃないかなと個人的には思っています)。

 

じゃ、なんのさざ波もたたなかったのかというとそんなことはなくて、上で引用した川崎大助氏の著書によると、「<SLITS>周辺のDJやヒップ・ホップアーティスト」のあいだから「フィッシュっマンズって、すげえぜ!」となったようで、その後雑誌『スタジオ・ボイス』の表紙を飾ったのが決定的となったようです。

(僕も買ってましたが、当時のスタジオボイスの影響力は大きかったですからねえ。ただ、ミリオンセラーが乱立していた当時のCDセールス事情に照らし合わせると、その観点からは失敗といっていいほど一般的には売れてなかったと思います)

 

あと、これどこで読んだか記憶が定かでないのですが(探したけどみつからなかった)、確かポリドールのプロデューサーの方のお話だったと思うのですが(というと佐野さんになるんだけど違ってたらごめんなさい)、『空中キャンプ』リリース後に、ある大物ミュージシャンを担当するプロデューサーの方に「こんなアルバムをつくってくれてありがとう」みたいな電話がかかってきた話があったように記憶します。

まとめ

ってわけでもないんですけど、今回はひとまずこのへんでおしまいにしておきます。

韓国のバー「空中キャンプ」のことや、ミュージックマガジンで昨年行われた「90年代の邦楽アルバム・ベスト100」の企画で、『空中キャンプ』は第2位に選出された話とかにかんしては、「佐藤健が出ているサントリーウイスキーのCMにあの名盤が!?こちらの記事に少し書いていますので、よかったらあわせて読んでみてください。

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