「美の巨人たち」というテレビ東京系列の番組があります。先日放映された特集はパブロ・ピカソで、「ゲルニカ」「科学と慈愛」という2枚の絵が取り上げられました。

(画像:Wikipediaより)

ピカソのプロフィール

パブロ・ピカソ(Pablo Picasso [ˈpaβlo piˈkaso])

1881年10月25日 – 1973年4月8日

スペインのマラガに生まれ、フランスで制作活動をした画家、素描家、彫刻家。

ジョルジュ・ブラックとともに、キュビスムの創始者として知られる。生涯におよそ1万3500点の油絵と素描、10万点の版画、3万4000点の挿絵、300点の彫刻と陶器を制作し、最も多作な美術家であると『ギネスブック』に記されている。

※Wikipediaより

子供らしくない絵

ピカソの大作「ゲルニカ」は知っている人が多いと思います。1937年4月、スペイン北部の古都ゲルニカが、ナチスドイツ軍による無差別爆撃によって、一瞬にして壊滅。数千もの人々の命が奪われました「このニュースを聞いたピカソが全身全霊を込めて描き上げた巨大絵画は「20世紀の芸術を変えた一枚」と評されます」と番組で紹介されています。

一方で「科学と慈愛」は、あまり聞いたことがない人が多いのではないでしょうか。実はこの絵、ピカソが15歳の時のもので、画家で美術教師だったピカソの父がコンクール入賞を意識して、「死」という主題を選んで描かれたものでした。絵には3人の登場人物がおり、科学を象徴する医者と、死に絶えていく病人、そして慈愛を表す尼僧が病人を包み込むようにベッドの傍らに立ち、病人にスープを差し出しています。

デッサン、構図とも驚異的な技巧で、審査員たちは騒然となるわけですが、「本当に15歳の少年が描いたのか」と年齢査証の疑惑までかけられます。議論は紛糾し、最終的には選外佳作という落としどころになりました(いろいろあって大賞にはできないけど、賞なしとするには惜しい)。ちなみに、その後マラガ県のコンクールに出品された同作は、金賞を獲得したそうです。

 

ゲルニカから科学と慈愛へ

番組ではピカソが55歳のときに描いた「ゲルニカ」が最初に紹介され、そこから15歳のときの衝撃のデビュー作となった「科学と慈愛」までを遡っていき、作家の「創造と破壊」の歴史を辿っていきます。

55歳 ゲルニカ

「戦争と暴力を告発した時代の黙示録」「20世紀の芸術を変えた一枚」

43歳 接吻

シュールレアリズム時代の代表作

28歳 アンブロワーズ・ヴォラールの肖像

キュビズム時代の傑作

25歳 アヴィニョンの娘たち

絵画に革命を起こしたと言われる作品

15歳 科学と慈愛

 

古典的技法を駆使し、「上手すぎる!」と審査員たちを騒然とさせた「科学と慈愛」の老成さに比べると、同じ作家が描いたとは思えないくらいの作風の変わりっぷりです。「科学と慈愛」から10年後の「アヴィニョンの娘たち」では、歪んだ顔にねじれた身体の裸の女たちが描かれ、遠近法も陰影による明暗もありません。従来の美の基準とされてきたものが何もなく、今回の番組のテーマ的な視点からいうと「子供っぽい」絵ともいえるでしょう。

一方で「科学と慈愛」以前に描かれた習作も番組では紹介されますが、8歳のときの「マラガ港の眺め」、13歳のときの「帽子をかぶった男」も大人びた絵で、「科学と慈愛」同様、“子供らしくない絵”でした。

そして番組終盤で、次のピカソの言葉が紹介されます。

「私は子供らしい絵を描いたことがなかった。子供たちのように描けるようになるには一生かかった」(パブロ・ピカソ)

わたしは真悟を思い出す

唐突になんやねんって感じですが、「わたしは真悟」を楳図かずおの長編SF漫画です。

以下、ウィキペディアの紹介ページの冒頭を引用します。

『わたしは真悟』(わたしはしんご)は、楳図かずおの長編SF漫画。『ビッグコミックスピリッツ』(小学館)で1982年8号から1986年27号まで連載された。恐怖漫画の第一人者である楳図かずおが、恐怖テイストを控えめにして、神とは何か、意識とは何かといった、形而上学的なテーマに挑んだ意欲作。

表紙の美しい扉絵、産業用ロボットの日本における受容とその社会的影響、「奇跡は誰にでも一度おきる だがおきたことには誰も気がつかない」という謎めいたメッセージ、血管や神経を持った生物であるかのように描かれたロボットの内部構造、人間の悪意の存在するところに必ず現れる謎の虹など、見どころ満載である。

21世紀となった今ではコンピュータやロボットの描写に古さも目立つが、昭和時代の作品であることを考えると、現代のネットワーク時代を見事に予言していたという点でも注目される。

NHK-FM放送にてラジオドラマ化されている(#ラジオドラマ版参照)。

2016年12月には、ミュージカル化[1]。

『わたしは真悟』は僕も大好きな作品で、最初に知ったのは中条省平の本でした。その魅力は同書で詳しく解説されていますが、一部引用します。

(前略)男の子と女の子の純愛から生まれたコンピュータは終末的な世界を遍歴することになるわけですが、その過程が、かつて中世に盛んに行われた一種の聖杯探求の物語になっていることです。聖杯探求の物語のなかで有名なのは『アーサー王の物語』ですけれども、要するに、十字架にかけられたキリストの血を受けた杯を探しに行くという話しで、コンピュータ・ゲームのロールプレイング・ゲームの多くはこの聖杯探求のパターンをっています。しかし、『わたしは真悟』は、宝探しの物語、聖杯探求の物語という普遍的な題材を用いながら、物語をコンピュータが徐々に自分を失っていく過程へと反転してしまった。普通、聖杯探求の物語は、何かを発見し、理想の自分を実現していく過程なんですが、この作品の場合は、コンピュータが真実の父と母を求めて、先に進めば進むほど自分は解体していくわけです。コンピュータとしてのメモリーもどんどん失くしていき、最後に残るのは、真鈴という少女と悟という少年の純愛の、どこかぼんやりとした思い出だけす。そういう愛のテーマを、メロドラマのような愛の成就や喪失として語ったり、あるいは詩のような絶対的な美として語ったりするのではなく、遠い思い出のように失われた、かすかな残滓として描く、そのラブストーリーのひねり方が見事なんです。(後略)

※中条 省平 『小説家になる!〈2〉芥川賞・直木賞だって狙える12講』より 太字は引用者による

少し引用が長くなりましたが、主人公が成長していく過程で「宝物」を探す聖杯探求の物語の枠組みを借りながら(レベル1から始まり、自身の成長や仲間との出会い、強い武器を獲得していくといったロールプレイングゲームを思い浮かべてください)、その本来の構造に反するカタチで主人公のコンピュータがどんどん解体され、消失していく。それでいながら、コンピュータと愛、聖杯物語と記憶喪失というテーマを見事に物語に昇華し、エンターテインメント作品として楽しんで読めるところに、この作品のすごさがあると思います。

ちなみに、文中に出てくる「真鈴(まりん)」「悟(さとる)」というのは、この物語の主人公である少女と少年です。この二人が結婚し、肉体的な交わりではなく、二人の純愛が生みだした子供でもあるコンピュータの自意識に「真悟」と名前をつけます(タイトルの『わたしは真悟』はそこから来てます)。

 

ピカソの話に戻りますが、古典的技法をはじめ驚異的なデッサン力、描写力を備え、15歳で衝撃的なデビュー作「科学と慈愛」を発表したわけですが、そこから作家の「創造と破壊」が始まります。築き上げてきたものを崩し、そこからまた新しいものを創出していく。その過程で絵はどんどん既存の枠組みを離れ、一見「子供でも描けるような絵」となっていきます。少年時代、“子供らしくない絵”を描いていた天才・ピカソが、その積み上げてきたものを破壊していくことで、一見“子供らしい絵”を描いていき、晩年に「子供たちのように描けるようになるには一生かかった」という言葉を残します。

その言葉を聞いたときに、本来主人公の成長を描いていくはずの物語が、消失、解体されていく過程へと反転された『わたしは真悟』を思い出したわけですが、つながっているといえばつながっている、無理やりやんけといわれば無理やりかもしれん感じですが、まあそのへんは適当な感じで。