右の長距離砲、代打の切り札として長年プロ野球で活躍し、引退後も日本ハムファイターズの監督、NHKの解説者と活躍されていた大島康徳さんが自身のブログでステージ4の大腸がんであることを告白されました。
画像元:熱血野球人 大島康徳公式サイト
大島康徳さん・プロフィール
生 年 月 日 :1950年10月16日
身 長:182cm
利 き 腕:右投右打
出 身 地:大分県
出 身 校:今津中学校〜中津工業高校
1968年 ドラフト3位で中日に入団、1987年トレードで日本ハムへ。
通算成績:安打2204・本塁打382・打点1234・通算打率.272
プロ在籍年数26年(実働24年)と現役最高年長44歳を記録。現役26年は、山本昌(32年)、工藤公康・中嶋聡(29年)、野村克也(27年)に次ぐ記録で歴代5番目となります。
プレーヤーとしての印象
ぼくが小学校低学年の頃は、中日のクリーンナップをになうスラッガーというイメージで、勝負強い右の強打者という印象です。
日本ハム移籍時は37歳というプロ選手としては高齢の域に達していましたが(特に当時は)、ファーストのレギュラーを獲得するなどそこからも息の長い活躍をされました。
晩年は代打の切り札として存在感を発揮(若手時代も代打として活躍されていた時期がありますが)。
個人的なことでいうと、引退間近の選手とか、おっさんでがんばってる選手とかが大好きで(当時でいうと門田とか山本和範とか)、当時の大島選手もその観点から応援している選手のうちの一人でした。
星野仙一と大島康徳
大島選手がトレードで日ハムに移ったのは1987年のオフで、前年に星野監督が就任しています(第一期)。
星野は就任が決定した1986年オフから大改革に着手し、世紀の大型トレードでロッテから落合を獲得したほか、同年に水面下で谷沢引退の引導をわしたといわれています。
そして翌年には大島、平野といった看板選手もトレードで放出。実は大島選手にはその2年前、西武からトレードの打診があり、マスコミに漏れたことで破談(後日、同じく中日の中心選手であった田尾がトレードで西武へ)。
大島は出せないと断られたという話もありますが、その二年後に放出したのは年齢的なこともあると思いますが、守備に難のあった大島選手が、DH制度のあるパ・リーグでの方が活躍できるという配慮があったという話もあるようです。
さらに後日談ですが、どこかのインタビュー記事で星野さんが、「出した選手が外で活躍してくれて、監督にまでなってくれてる」的なことをいっていて(ニュアンス違ってたらごめんなさい。確か、俺がトーレド出したやつはけっこう大成してるんだよ、みたいな感じだったと記憶します)、監督になったは=大島(後に日本ハムの監督)と牛島(横浜ベイスターズの監督)のことを指しています。
息子さんは吉本の芸人さん
ちなみに、大島さんの息子である大島雅斗さんは、よしもとクリエイティブエージェンシーでNSC大阪37期卒の芸人さん。
東京在住だったけど、NNB48のおっかけをしているという理由で大阪のNSCに入学し、少ない給料の大半をNNBのCD代に使うどころか借金までしているというダメっぷりが取り上げられ、親子で「アウトデラックス」に出演されたこともあります。
大島雅斗さん(ご本人のツイッターより→https://twitter.com/masatee37)
ステージ4の症状とは
がんが発見された臓器だけではなく、遠くの臓器にも転移している「遠隔移転」している段階がステージ4に基本的には分類されるようです。
がんの種類によっても多少の違いがあるようで、大腸がんの場合「腹膜・肝臓・肺など」への遠隔転移があるとされています。
手術が難しいケースが多いようですが、現在大島さんは抗がん剤治療を受けられているとのこと。
「病気が発覚した時も、今現在も、大島はとても元気です。病気をきっかけにこれまで野球一筋に歩んできた大島に新たに歩むべき道ができました」とブログで語られています。
ご本人が「自然体」でいることを強調されておられますが、その普通の日々がこれからも長く続くことを願っています。
現在どれくらいご本人に負荷がかかっているのかわかりませんが、ご回復を願うとともに、プロ野球解説などの現場で大島さんの元気な姿を見られるのを楽しみにしてます。